January 08, 2005

「公私混同」の時代

九州大学時代に、西日本新聞に『潮流を読む』というコラムを書いていたことがありました。
昔のもので恐縮ですが、PCから引っ張り出してアップしてみます。ご笑読いただければ、幸いです。これは、私が地元の消防団員をしていた頃に書いたものです。

 これぞうららかな春の日という去る4月6日(土)の昼下がりこと。拙宅からほんの30㍍ほどの民家から出火し、たちまち燃え上がった。隣は私の行き付け酒屋だ。地元の東消防団筥松分団の不肖の団員である私も消防団の法被を羽織って現場に駆けつけた。すると、眼前にはもうもうと吹出す煙に燃え盛る炎。しかし、すでに放水は始まっていた。わが筥松分団の面々とポンプ車が現場にいち早く急行し最接近して炎と格闘していたからだ。だが、火勢は強まり、大事な酒屋に延焼しようとする。消防隊は裏手のJR鹿児島本線に回り、列車を止めて、必死に放水する。仕事を放り出して集まった筥松分団員たちは炎も煙もものかは最前線に立って、投石でガラスを割り、火の根元を止めようとする。やっと鎮火した。延焼も食い止めた。皆の顔に安堵と達成感の笑みが広がる。
 筥松分団の全員は消防組織法第15条の6にいう「非常勤の消防団員」である。つまり、彼らは本業を持ちながら地域の消防活動に参加するボランティアにほかならない。そのボランティアにすぎない彼らがプロの消防職員に伍してなぜ危険を冒し果敢に猛火に立ち向かうのか。真冬の深夜の消火活動はもっと厳しく辛いのに。報酬のためか、スリルを味わうためか。否。報酬などないに等しく、40代のオヤジにスリルは無縁だ。答えは「地域を守りたい、よくしたい、人の役に立ちたい」という純な心。もちろん、ふだんの彼らはそんなことは口の端にも出さない。酔いがかなり回ったとき、わずかの言葉と少し潤んだ目がそう語るだけだ。
 私たちの社会には他人の不快と不幸を歓ぶ人々と他人の快適と幸福を歓ぶ人々が存在する。暴走族は前者の代表だろう。一方、阪神大震災に馳せ参じた数多くのボランティアは後者の典型である。両者の正確な割合は分からない。だが、社会の成熟化・高齢化とともに後者の生き方を生きがいとする人々は確実に増えてきている。しかも、そうした人々の自発的活動は人権、地域づくり、福祉、医療、防災、環境保全、国際支援等々の従来行政の守備範囲と考えられていた領域にどんどん広がっている。公的機能が民間非営利活動によって補完され代替される「公私混同」時代の潮流が動き出したのだ。
 この潮流は「福祉国家と小さな政府」を共存させる可能性を宿している。福岡市東区箱崎商店街は再活性化を目指す『リフレッシュ計画書』の中で「やさしさを届ける商店街構想」を打ち出した。お年寄りや障害のある方々はちょっとした気候や体調の変化で買い物に来れなくなる。そこで、電話やファックスでの注文を受けて代わりに買い物をして自宅まで届け、安否や体調の確認と配慮までしようというのだ。商店街全体がボランティア化することで商業活動と福祉機能を結合しようとする注目すべき提案といえる。このように公共サービスの種類によっては、行政が一手に引き受けるよりも、民間の専門団体に任せた方がより経済的、生産的、人間的な場合も多い。アメリカでは非営利セクター(NPO)はGNPの7%、全雇用の11%の規模を持っているといわれる。逆にみれば、政府はそれだけ小さくて済んでいるのである。
 連帯と相互扶助を旨とするNPOの活動は、歴史的資産や環境の保全・向上、社会的弱者の保護やケアといった人間的で行き届いたサービスの提供に向いている。これは競争と利潤追求を旨とし職場中心社会を形成してきた日本的資本主義社会がもっとも不得手とするところであろう。行政資源が減少する21世紀の高齢・成熟社会では、NPOが社会的に重要な役割を果たさざるをえないのである。
 ところが、わが国の諸制度はNPOを支援し育成するにはおよそ不向きである。民法34条は「主務官庁ノ許可ヲ得テ」と法人化の判断を行政の裁量に委ねているし、現に役所の管轄を超えるような多目的型の法人はめったに許可されない。また、法人でないNPOに寄附をしても控除の対象とはならないし、NPOは収益事業を行うこともできない。つまり、嘆かわしいことに、地域住民の自主的・非営利的・公益的な活動が社会にもたらす有益なパワーとエネルギーを活用するようにはまったくなっていないし、官僚主導でそれが是正されることは決してないのである。
 今国会に与党三党と新進党は各々市民公益活動を促進する法案を議員立法として提案しようとしている。その成否は日本にNPOが根付くかどうかの鍵となるはずである。蛮触の争いに堕することなく、“立法府”としての威信をかけて是非とも成案に漕ぎ着けてほしいものである。
【了】

投稿者 Imasato : January 8, 2005 11:41 AM
コメント

「大事な酒屋に延焼しようとする」のは地域の一大事ですもんね。まさにオジサンたちの安全保障行動。

潜在的には一部の人を除いてほとんどの人が他人の幸福を歓ぶほうだと思いたいのですが、最近は「一部」と「ほとんど」も日常の街に混在していて、不安もありますね。

Posted by: kitafee : January 27, 2005 03:54 PM
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?