February 17, 2005

NHK人間講座『「共生経済」が始まる』

ご紹介が遅くなったのですが、経済評論家の内橋克人さんが講師を務めるNHK人間講座『「共生経済」が始まる』が現在放映されています。NHK教育テレビの火曜日22:25-22:50で、現在第8回のうち第2回まで放映が終了していますが、再放送もあります。

第1回 「市場万能主義」がもたらしたもの
第2回 菜の花が世界を救う
第3回 「浪費なき成長」に向けて
第4回 「日本型自営業」の可能性
第5回 地域からの挑戦(1)〜「高知国独立宣言」
第6回 地域からの挑戦(2)〜オオサンショウウオの町で
第7回 「マネー」が国を滅ぼす
第8回 「共生経済」への道
放映スケジュール(再放送・再々放送含)はこちら
テキストも現在書店に並んでいますよ。(588円)

NHK人間講座 「共生経済」が始まる − 競争原理を超えて
分断・対立・競争の時代へと突入した今日の日本経済。その一方で、連帯・参加・協働を原理とする「共生経済」が各地に芽吹きだした。「資産循環型社会」の実現に向けて、日本が選択すべき道を考える。

内橋克人 経済評論家 1932年生
神戸市生まれ。新聞記者を経て経済評論家に。高度経済成長を支えた現場の技術者たちの姿を描いた『匠の時代』(全12巻)で脚光を浴びる。市場競争原理至上主義、世界市場化に対して、早くから一貫して警鐘を鳴らしてきた。主な著書に『内橋克人 同時代への発言(全8巻)』、『共生の大地』、『浪費なき成長』、『不安社会を生きる』、『破綻か再生か』、『<節度の経済学>の時代』、『もうひとつの日本は可能だ』、編著に『経済学は誰のためにあるのか』、『誰のための改革か』、共著に『「人間復興の経済」を目指して』など多数。

投稿者 Nishimura : 09:02 PM | コメント (0)

February 16, 2005

京都パック♯04

不定期発行京都パックです。少し空いて4回目。
今回は鑑賞者の客層のおはなしです。
このメールはつなぐNPOのMLにて配信されています。

≪===京都パック2005.02.16号===≫

▼「共鳴 −どこ、から?」

さる2月11日に金沢21世紀美術館に行ってきました(日帰り強行)。
降雪あとの快晴で、白銀にガラス建築が映えていました。

祝日で来館者も大入り。
家族連れ、しかも3世代組が多いことには驚きました。
ボクとしてもあれほど子ども達の歓声が響く美術館は初めて。
シニア世代もキッズも偏りなく訪れる美術館、
それはひとつの理想型に近づいたものといえるでしょう。
(ただ、手すりの少ないのは気になりました。それほど単独来館を想定外としているのでしょうか)

でもあえて高望み。“共鳴”ってどこからくるのでしょう。


*
▽ それでも消えない“他人”のまなざし

作品の前で前後の観賞者に気を使う、というか、
お互いの視線や動きが気になってなるべく“他人”であろうとするってこと、ないですか?
展覧会に入ってから出るまでほぼ同じペースでずっと付きまとう“まなざし”。
いっそ声でも掛けたくなる他人同士の気まずさ。
現代美術の“対話力”はそれを解消してくれると思うのになぁ。

“共鳴”が人⇔作品だけでなく、人⇔人のものであってほしい。
それも家族とか、恋人とか既成の関係ではなく他人同士をつなぐようなもので。
金沢21世紀美術館は(従来意識さえされなかった)そうした新しい課題に
目を向けた点で大きいと思います。でも、
“出会い”を標榜するならもう一歩の試みと成果を見せてほしいなと、高望み。

ただ、そうした力を美術から引き出す魔法を持つのは子どもたちではないでしょうか。
アタマノカタイオトナに比べ彼らは何をしでかすか分からない。
紋切型なオトナのネライを軽々飛び越えていく子ども達に
何を提供し、どこまで自由にさせてやれるか(がまん比べ?)、
鑑賞教育とも違う「1歩前!」の姿を垣間見れるよう、
金沢21世紀美術館にはしっかり実験をしてほしいものです。

(説明を割愛しますが「もう一回券」で来館している子どもを見かけました。
学校単位での見学以降も個人的に複数回訪れている子も多いようですね)


*
▼ 永遠のF1層? −草間彌生展

金沢の翌日、今度は京都国立近代美術館の「草間彌生展 永遠の現在」へ。
土曜午後のこちらも大入り。ただ明らかに景色が違う。
来館者の大半はF1層(20〜30代女性)、たぶん7割以上でした。
家族連れなんてほとんどいない。

現代美術の圧倒的な“消費者”は確かにF1、M1層のいわゆる“アート系”。
特に京都は芸大も多く特殊地域ですが、にしても極端…。
それで図録も完売だし「マネジメントの成果」といえばそうだけど、
彼らの大半が社会に出ると一気にアート熱も冷める現実を思えば、
も少し世代や性別を超えた偏りない普及を目指すべきではないでしょうかねぇ。


*
だんだん文章が冗長になってきました。自戒します。
しかも展覧会タイトルもじったりしてゴメンなさい(_ _)゛
風邪に続いていよいよ花粉の季節です。みなさまご自愛ください。


北村英之
dbe0114@mail3.doshisha.ac.jp

投稿者 : 05:08 PM | コメント (0)

February 15, 2005

ゼミコンパ、お疲れ様でした

2004uchiage.jpg

昨日のゼミコンパ、お疲れ様でした。楽しかったですね。
参加募集から店選び、予約その他手配を一手に引き受けて下さった西村さん、鳴謝いたします。
時間の制約もあり、参加者のみなさんとじっくりお話しできなかったのが、残念です。
しかし、私も京都滞在の時間が増え、こうした機会も多くなっていくと思いますので、今後ともどうかよろしくお付き合い下さい。
取り急ぎ御礼まで。

今里 滋 敬白

投稿者 Imasato : 08:01 PM | コメント (4)

February 14, 2005

澤井昭宏

sawai.jpg

■自己紹介 澤井 昭宏 (Sawai Akihiro)
同志社大学大学院総合政策科学研究科2004年度生です。趣味は旅行で特技は浪費。ローカルガバナンスの公共性について勉強しています。学部時代は経済学部に所属していたおかげですっかり底意地が悪くなりました。歳月は流れ経済理論は片端から忘れても性格はなかなか変わらず、自分を棚に上げて細かいことばかり気にします。反省。

それにしてもこの研究科名はちょっと長すぎるのではないでしょうか。英訳がGraduate School of Policy and Manegementなのであれば科学だなんて取って付けた呼び名はこの際やめて普通に政策マネジメント研究科とかなんとか言えば良いと思うのです。学問として泊を付けたいがため名称にScienceをねじ込む余地を残していると見られても仕方がない。名刺も作りにくい。

February 13, 2005

修士論文公聴会&博士論文研究会

今年度の修士論文の公聴会も終了しました。
タイムキーパーとして公聴会に参加しましたが、大変勉強になりました。やはり早くから修士論文の執筆に取り掛かっていた方々は、良い論文が書けたようです。来年度は、私達の番ですが、しっかりと計画を立て、着実に進めていきたいものです。
今里先生本当にお疲れ様でした。

また、博士課程の研究発表会が、3月5日(土)の午前9時から行なわれるようですので、興味のある方は、ご参加ください(またまたタイムキーパーのお仕事です)。

投稿者 : 05:22 PM | コメント (1)

February 12, 2005

尹東柱 追悼式 

yun.jpg
12日(土)に本学構内で行われた尹東柱追悼式には300人を超える方々が出席されたそうです。私は残念ながら修論公聴会のために参加できませんでした。この模様を伝える西日本新聞の社説(2月13日付)を転載しておきます。参考になれば、幸いです。 今里 滋 敬白


詩人・尹東柱没後60年 彼はいつも水平線のかなたに

 詩人の尹東(ユンドン)柱(ジュ)をご存じですか。韓国の人にこう尋ねたら、だれもが「もちろん」とうなずき、こう語るだろう。「教科書で習うし、入試にもよく出ます。親しい人への贈り物としても、彼の詩集は人気なんですよ」
 頼めば、代表作「序詩」の一節を口ずさんでくれるかもしれない。「チュンヌン ナルカジ ハヌルル ウロロ(死ぬ日まで空を仰ぎ)/ハンジョム

 プクロミ オプキルル、(一点の恥もないことを、)」と。

 どの国、どの地域、どの民族、どの時代にも、時折、時代を背負って生まれ、時代を超える翼を持った詩人と詩が生まれる。尹東柱と「序詩」も、そのような詩人であり、詩だ。

 「序詩」にひかれて尹東柱を知り、彼の生涯や詩についてとつとつと語り合いながら新しい日韓関係のあり方を見つめている人々が、大勢ではないが国内の各地にいる。

 今年は戦後六十年で、日韓国交正常化四十周年、日韓友情年でもある。このような節目に没後六十年を迎えた彼の生と死を振り返れば、日韓の友情を深めるよすがになるかもしれない。

 彼は一九四五年二月十六日未明、現在の福岡市早良区、地下鉄藤崎駅近くにあった当時の福岡刑務所で獄死した。その日は晴れ、最低気温〇・一度。二十七年の短い生涯だった。


■3都市での短い生
 旧満州(現・中国東北部)で生まれ、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)を卒業後、四二年に留学のため渡日し、東京の立教大で数カ月をすごしたのち京都の同志社大に移った。

 四三年夏、治安維持法違反(独立運動)容疑で逮捕、京都地裁で懲役二年の判決を言い渡され、四四年春、福岡刑務所に収監された。

 最後の三年間、彼の生は太平洋戦争と重なり、半ば以上は警察署の取調室、裁判所の被告席、刑務所の監房内にあった。没後三年の四八年に友人や親族が出版した遺稿刻W「空と風と星と詩」が一冊きりの詩集である。

 彼がつかの間生きた東京、京都、福岡の三都市で、没後五十年前後に彼の死の意味を考え、その詩を読む市民グループが生まれた。そして、没後六十年を追悼する市民の集いが、東京ではおととい、京都ではきのう開かれた。福岡市ではきょう開かれる。

 多くを平易な詩語でつづった彼の詩には、現代詩によく見受けるような難解さはない。ただ、深い。透明な叙情性をたたえ、ぴんと張った硬質な芯(しん)がある。詩人の茨木のり子さんは、その質感を「ピアノ線」にたとえた。

 彼の詩は、万華鏡のようにわずかに傾けただけで違った模様が見える。同じ作品でも、読むたびに違った印象を受けることがある。

 彼と作品について幾百もの著作や論文を書いてきた韓国の人々にとってさえ、未解明な部分があるのだ。

 彼は、日本による植民統治下で生まれ、亡くなった。彼の詩が深みを伴うようになったのは、過酷な時代の中で結晶したからである。

 四〇年には創氏改名が施行され、「朝鮮日報」や「東亜日報」が廃刊に追い込まれた。四一年には、朝鮮思想犯予防拘禁令、国防保安法、改定治安維持法が公布された。この年、日本は太平洋戦争に突入し、やがて、敗戦の日を迎える。


■針の穴の向こう側
 歴史の激動期に青春をすごした尹東柱は、朝鮮固有の文化が消えることに強い危機感を抱き、民族固有の文字であるハングルで詩を書き続けた。

 それ自体、支配者への抵抗性を帯びた行動ではあったのだが、書いた詩の大半は、自己の内側にらせん状に沈み込んでいく内省的なものだ。声高で明らかな抵抗詩はない。

 彼の詩行のひだには、時代に対する悲しみや苦しみ、時代と正面から切り結ぶような生き方ができない自己に対する恥ずかしさ、そして何よりも、新しい時代への希求が潜んでいる。

 詩人、画家、会社員、主婦らの小さな集まり「福岡・尹東柱の詩を読む会」では、各自が作品から受けた印象を重ね合って、隠し絵のような彼の思いを探し当てようとしてきた。

 発足して十年になる読む会の初期から参加している井上美貴子さんは、会報の第二号に「詩人に近づきたく通ってきましたが、詩人はますます遠くにいらっしゃいます」と記している。

 海のかなたの水平線は、そこに近づこうとしても先に退き、いつも遠くにある。井上さんが感じるように尹東柱の詩は、どんなに読んでも水平線のようになぞめいている。

 しかし、たとえ彼の詩魂の最深部になかなか降りていけなくとも、一点の針の穴をのぞくように尹東柱の詩の世界を見つめているうち、その向こう側に見えてくるものがある。

 それは、当時の尹東柱と同じように悲しみ、苦しみ、恥ずかしさと希求を抱いて生きた無名の、幾多の朝鮮半島の人々の姿である。

 日韓の人々が友情を深める上でいま最も大切なことは、重なり合わない部分を残している互いの歴史認識のずれを埋める作業だろう。

 尹東柱の生と死を手がかりにして日韓の過去と現在、そして望ましい将来像が焦点を結ぶかもしれない。

【写真】詩人・尹東柱(延禧専門学校卒業時)

投稿者 Imasato : 11:48 PM | コメント (0)

尹東柱の追悼式に参加しました

2月12日は、身体の芯が凍えそうな寒い日になりましたが、大勢の人が追悼式に参加
されていました。当日の参加者に、尹東柱の詩集が配布されましたので、その中から
2遍を紹介させていただきます。

序詩

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを、
葉あいを 縫いそよぐ風にも
わたしは 心を痛めた。
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も 星が 風に————むせび泣く。


コスモス

清楚なコスモスは
ただ一人の我が乙女
月の光 ひんやりとする 寒い夜には
昔の乙女がたまらなく懐かしく
コスモスが咲く 庭を 尋ねゆく

コスモスは
コオロギの鳴き声にも はにかみ

コスモスの前に立つ 私は
幼子のように 羞じらう

私の心は コスモスの心
コスモスの心は 私の心

きょう

投稿者 Honda : 11:20 PM | コメント (0)

February 11, 2005

アメリカのNPO

本日、福岡市の国際会議場でNPOふくおか主催の「九州パートナーシップ・コンソーシアム」(私が提唱して、2002年より開催)で講演したアメリカの元シニア・ネットCEOアン・リクソン氏の話を聴いて、調査研究プロジェクトのA班報告にあったように、日本のNPOはまだGroupのところがほとんどで、Organizationの体をなしているところは少ないなという印象を持ちました。 強力な理事会があり、そこが有能でミッションに通じたCEOを雇ってばりばり仕事をやらせ、同時にそのパフォーマンスをしっかりと評価していくという仕組みが確立しているわけですね、アメリカでは。
それから、これは久保さんの修論テーマに関わると思うのですが、リクソン氏は、現在、企業とNPOの協働の手法として、Cause−Rrelated−Marketing(=CRM)が注目されていると指摘し、その例として、American Express社による「自由の女神」修復プロジェクトへの支援を挙げていました。

投稿者 Imasato : 09:10 PM | コメント (3)

池澤夏樹メルマガ&Blog「異国の客」

現在フランスにお住まいの作家・池澤夏樹さんのメルマガ&Blog「異国の客」をご紹介します。
今日配信の文章は「広場」がテーマで、公共空間・議論・意思表示の場としての「広場」について書いています。
http://www.impala.jp/ikoku/

投稿者 Nishimura : 11:33 AM | コメント (0)

February 08, 2005

尹東柱 追悼式

同志社大学今出川校地のチャペル横に、戦時中母国語で詩を書いたために逮捕・投獄され、終戦の2ヶ月前に獄死した韓国の詩人・尹東柱の詩碑があるのはご存知の通りです。彼の追悼式が、12日(土)13:30からその詩碑前であるという記事が西日本新聞に載っていましたので、ご参考までにアップします。
私は12日は修士論文審査のため、在学しておりますので、時間が合えば、出席してみようかと思っております。

Download file

投稿者 Imasato : 04:40 PM | コメント (1)

February 03, 2005

「京都府・緑の公共事業アクションプラン」に参画して

西村仁志

1.はじめに
 平成14年度から京都府の「緑の公共事業アクションプラン政策検討会議」に政策立案メンバーとして参画する機会を得た。これは山田啓二知事が選挙公約として掲げていた重要テーマのひとつであり、森林環境等の保全や府内産間伐材等の利用の促進。地球温暖化対策の推進や新たな雇用創出を目指すものである。この会議はその後3年間にわたって開催され、議論を進めてきた。ここに活動実践者の立場、あるいは一府民の立場から京都府の政策立案に関わった体験を通じ、今後の政策形成や公共事業のあり方における「公共性」の問題について考えてみたい。

2.「アクションプラン」の背景について
これまでの行政計画は、策定された後にどのように施策へ反映されたかが必ずしも明確ではなく、しかも多くの計画は、実は予算・施策ができた後につくられるのが実情であった。「アクションプラン」は、オープンな議論を通して施策がどうつくられ、どのように実施されるかを府民にわかりやすく説明するための計画であり、このように開かれた政策形成をしていくことが山田知事の公約であった。
 「アクションプラン」が留意すべきポイントとして
1. 府政の解決すべき課題について、毎年の目標設定を明らかにすること。
2. 中間段階で、議会に報告したり、パブリックコメント(府民意見提出手続き)などの手法で府民に説明すること。
3. 策定した計画のうち、何が施策に反映されたかをきちんと示すこと。
4. 施策の反映状況をみながら、毎年PDCAサイクルで見直し、次年度の施策形成につなげていくこと。
 以上の4点が示されている。このような施策立案のプロセスを構築することにより、府民に開かれた府政を実現することをねらいとしているのである。

3.「緑の公共事業アクションプラン」のこれまでの経過
★平成14年度
 学識経験者(林学、植物学、都市計画などの専門家)、市民活動関係者(まちづくり、里山活動、環境教育など)、林業・建築関係者等19名の政策立案メンバーが招集され、この19名が「緑の活用」チーム「緑の整備」チームに分かれ、その後「木材利用促進検討部会」、「環境教育促進検討部会」、「森林整備(里山)検討部会」、「森林整備(文化の森)検討部会」とメンバーの関心分野でのワークショップを行うなど、7月から12月にかけて合計11回のワークショップが行われた。

施策の基本方向
・未来への贈り物としての森林を保全・整備
・森林整備等の促進を通じた新たな雇用の創出
・人と自然の共生を重視した社会資本整備の推進
を確認するとともに、
重点的な取り組み
  1.放置森林等のうち公益性の高い森林の緊急的な保全・整備
  2.京都の文化振興に貢献する「京都・文化の森」づくりの推進
  3.森林整備を通じた魅力ある雇用の場づくりの推進
  4.循環型社会実現に向けた取組の一つとしての木質資源の積極的な活用
  5.環境に対する府民の意識を高め、府民ぐるみで緑を守る仕組みづくりの推進
について、細部にわたる議論を行い、具体的施策についてアクションプランで言及した。
 そしてこのプランに基づいて、翌15年度に11億8百万円の当初予算で、次の各取組が進められた。
公益性の高い森林の緊急的な整備 計 533,100千円
森林整備による雇用の創出 計 121,500千円
木質資源の積極的な利活用 計 268,100千円
森林生態系の保全 計 185,300千円

★平成15年度
 前年度に引き続いて7回のワークショップを行って森林整備(府民参加の森づくり)、木材利用(府内産木材の利用促進)、竹資源活用(放置された竹の多様な活用)の3テーマを中心に議論を行い、また公共事業と併せて府民とともに進めていく事業(「緑の公共事業と一体的に取り組む事業」)を検討した。
現状の課題として
  1.豊かで美しい緑を保全する京都独自の仕組みが必要。
  2.森林を守り育てるために幅広い府民の参画が不可欠。
  3.持続可能な森林管理の実現には、京都の木の文化・竹の文化の振興が必要。
の3点について認識を共通にし、
3つの重点的取組み
  1.京都の豊かな緑を守る条例づくり
  2.里山の府民ぐるみでの保全・整備
  3.京都の木の文化・竹の文化の振興
を明らかにし、これらは以下のような翌16年度の当初事業予算12億3785万円として反映している。
公益性の高い森林の緊急的な整備 計 706,688千円
森林整備による新たな雇用の創出 計 78,100千円
木質資源の積極的な利活用 計 453,071千円
森林生態系の保全 計 344,589千円

★平成16年度
 「緑の公共事業」の理念を幅広い府民参加の運動へと発展させることを目指して、森林を中心に豊かな環境を府民ぐるみで守り育む取り組み(モデルフォレスト)の具体的な展開方法等を検討した。「モデルフォレスト」とは流域森林を単位として利害関係者の総参加のもとに行われるスケールの大きな地域住民参加の環境保全活動全体のことで、現在世界13カ国で取り組まれている。
 5回のワークショップは府内各地で行い、取り組みの現場の見学を行うとともに近隣の里山活動関係者や広域振興局の林業担当者も出席して、現状についての認識を深めることができた。
今後の課題として
  1.緑の公共事業を「行政中心」から「府民主体」の取組に拡げることが重要
  2.森林を「保全・整備する」から「守り活かす」取組に移行することが重要
と指摘するとともに、重点取り組みを
  1.緑を守り活かす多様な主体の連携の促進
(具体策−流域を単位とした府民と行政の協働組織づくり、様々な主体の交流と連携の促進、府民やNPO等の様々な取組の促進)
  2.府民レベルで森林資源等を利活用していくきっかけづくり
(具体策−森林・里・川を守り活かす府民の知恵の結集、行政と大学の連携による情報の効果的な発信)
として、「モデルフォレスト」の理念や取り組みを府下において展開していくことによって、「緑の公共事業」を「行政中心」から「府民主体」の取組に拡げていくことを目指していくこととしたのである。
 また今年度のアクションプランの策定にあたっては、中間案の発表と府民意見募集(パブリックコメント)も行われ、幅広く府民からの意見を反映させる手続きがとられた。

4.公共事業が「公共性」を有するために
 3年にわたる「緑の公共事業アクションプラン政策検討会議」に参画して、公共事業における「公共性」について考える重要な点が3つ示されたと感じている。

(1)多様な顔ぶれによるオープンな議論
 これが府担当者が机上だけで考える政策、施策、事業からの脱却のための最大の条件であろう。今回の政策立案メンバーには、このテーマに関係する学識経験者、事業者、市民活動関係者などが加わり、多様な観点、経験、現場認識のもとに議論し、政策検討を進めることが出来た。「現場を見たり、現場の関係者へのヒアリングも行いたい」という意見から、2年目からは現地視察と関係者へのヒアリング、会議も設定されたことも重要な要素であった。
 メンバーも途中一名が就職のため抜けた他は、事務局担当者(林務課)も含めてほぼ同じ顔ぶれで3年間一緒に議論することができ、相互理解、信頼のもとに議論と検討をすることができた。このようなことから、担当者が机上だけで考える政策、施策、事業から、より今後のあるべき姿、現場のニーズに即した公共事業への脱却がはかれたのではないかと考える。
 課題としてはこの会議に「公募委員」を位置づけることや、パブリックコメントにあたって、一般府民向けの公開検討会議やワークショップなどを行ってさらに幅広く意見を求める仕組みも組み入れて検討をすすめていくことが挙げられる。

(2)プロセスを重要視すること〜事業による受益者と公共性の問題
 府内には零細な林業家も多く、後継者や経費等の問題から間伐等の手入れが十分に出来ない民有林が増えてきている。また個々の林業家の経営を安定化させていくためには府内産木材を適正な価格で市場に出していくということが必要であろう。ところが府としてこうした支援、振興策をとることはどのような公共性をもつのかという議論が必要となってくる。つまり限られた業種や山林所有者だけに対してのメリットではないのかという意見も存在しうるからである。
 今回の「緑の公共事業アクションプラン政策検討会議」では、こうした利害関係者にだけではなく学識経験者や市民活動関係者、私のような一般府民に近い立場の人間も含めて幅広い観点からの議論を行ったために水源涵養、国土保全、木造文化財の補修用木材の産出、環境学習などの山林の多様な役割について認識したうえで、こうした支援、振興策について提案をすることができた。これがもし業界からの陳情や、有力政治家からの働きかけで実現したものであった場合には手続的な社会的合理性を欠くことになる。結果は同じであっても、今回のようなプロセスを経ていることが非常に大切ではないかと思う。

(3)市民が担う「新しい公共」へ
      〜「従来型」の公共事業の限界を超えることができる可能性
 あたりまえのことであるが公共事業には税金が投入され、その事業が終了した時点で整備は終了する。ところが今回の「緑の公共事業」における整備事業では、「森林ボランティア」をはじめ府民が関与できる領域が存在する。これは税金の投入が終了しても、そのミッションが継続する限り活動が終結することはない。「緑の公共事業アクションプラン」ではこの点に着目して「緑の公共事業」と「緑の公共事業と一体的に取り組む事業」の両方について議論し、またとくに2年目、3年目と経過するにつれて後者の議論が中心となった。ここに「従来型」の公共事業の限界を超えることができる可能性が見え、行政が担うだけではない、市民が担う「新しい公共」の姿を少し垣間見ることができたのである。公共事業が「本物の公共性」を有するための議論がするにはまだまだ府民側の力不足は否めないが、これを端緒に今後にむけての可能性が開かれていくと信じたい。

5.さいごに
 京都府の「アクションプラン」は初年度6つであったものが、3年目には19の分野に及んでおり、300名近い政策立案メンバーが会議やワークショップを重ねて政策検討を行っている。このように各分野に広がってきているのも、「アクションプラン」によって立案され実施された政策が有効であり、社会的な支持を得て、「公共性」のあるものとなってきたからに違いない。
 政策立案メンバーという立場で実際の政策形成の場面に立ち会うことができ、また大学院での研究内容と絡めて「公共性」について考えることができたことはたいへん有意義であった。

投稿者 Nishimura : 02:40 PM | コメント (0)

The Third Way ♯2

レポートも大方が終わり、少しホッとしています♪
遅くなってしまいましたが、1月26日の読書研究会の要旨、私見の方をまとめてみましたので
アップさせてもらいます。

Socialism and After (p1〜p3)
社会主義の価値観、理念のうちのいくつかは、良い生活を送る際の
欠かせない要素となっているために、社会主義、共産主義も今となっては
過去の遺物であるが、その全てを否定することはできない。
私達には、これらの価値観の大切さを再認識することが求められている。

現在起こっている社会問題を解決するためには、偏った考えを持たずに
理念に基づいて行動しなければならない。しかし、その理念が到底実現できそうに
ないものならば意味がないので、理想的社会実現へのプロセスについてもきちんと
考えなければならない。そのことに向けて政策を提案することがこの本の目的である。

Old-style social democracy (p8〜p11)
旧社会民主主義者は、人々の日常生活に対して政府が介入するのは、当然であり
それが政府の役目であると考えていた。
そのため旧社会民主主義者は、ボランティア組織が行なうサービスは欠点が多いと
捉え、疑いを持っていた。
1970年代後半の挫折までは、社会民主主義者は一直線に近代化に向けて発展していくモデルを追求し、そのモデルの頂点に福祉国家をおいた。

また旧社会民主主義者にとって、環境問題に取り組むことは難しかった。
その上、社会民主主義者は国際主義的であったが、グローバルな視点は
持ち合わせていなかった。

◇私見
最初読んだ時に、「社会主義、共産主義という名の妖怪がヨーロッパを徘徊している」という一節が一体どういう意味なのかということが分かりませんでしたが、先生の「実体はないが、力は持っている」というお話を聞いて、マルクスが意図した理由とは異なってはいますが、上手く捉えた分かりやすい表現だなと思いました。
社会主義、共産主義の考えが衰退した現在でも、その価値観が良き生活の要素として残っていることは確かに妖怪な感じがします。
社会主義、共産主義の中で育ってきていないので、その価値観がどのように社会、経済発展に関わっているのかがまだよく掴めていませんが、これから「第三の道」を読み進めて勉強していきたいと思います。

また恥ずかしながら、学部時代にこのような分野については1年の時に概論レベルでサラッとしか勉強したことがなく、勉強不足のため「第三の道」を読んでいてもよく分からない単語や背景が掴みにくいところがあるので、先生にご紹介して頂いた本をこれから読んで色々と吸収していきたいと思います。
また他にも何かお勧めの本をご存知でしたらぜひ教えて頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。

投稿者 Kubo : 12:20 AM | コメント (1)