February 12, 2005

尹東柱 追悼式 

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12日(土)に本学構内で行われた尹東柱追悼式には300人を超える方々が出席されたそうです。私は残念ながら修論公聴会のために参加できませんでした。この模様を伝える西日本新聞の社説(2月13日付)を転載しておきます。参考になれば、幸いです。 今里 滋 敬白


詩人・尹東柱没後60年 彼はいつも水平線のかなたに

 詩人の尹東(ユンドン)柱(ジュ)をご存じですか。韓国の人にこう尋ねたら、だれもが「もちろん」とうなずき、こう語るだろう。「教科書で習うし、入試にもよく出ます。親しい人への贈り物としても、彼の詩集は人気なんですよ」
 頼めば、代表作「序詩」の一節を口ずさんでくれるかもしれない。「チュンヌン ナルカジ ハヌルル ウロロ(死ぬ日まで空を仰ぎ)/ハンジョム

 プクロミ オプキルル、(一点の恥もないことを、)」と。

 どの国、どの地域、どの民族、どの時代にも、時折、時代を背負って生まれ、時代を超える翼を持った詩人と詩が生まれる。尹東柱と「序詩」も、そのような詩人であり、詩だ。

 「序詩」にひかれて尹東柱を知り、彼の生涯や詩についてとつとつと語り合いながら新しい日韓関係のあり方を見つめている人々が、大勢ではないが国内の各地にいる。

 今年は戦後六十年で、日韓国交正常化四十周年、日韓友情年でもある。このような節目に没後六十年を迎えた彼の生と死を振り返れば、日韓の友情を深めるよすがになるかもしれない。

 彼は一九四五年二月十六日未明、現在の福岡市早良区、地下鉄藤崎駅近くにあった当時の福岡刑務所で獄死した。その日は晴れ、最低気温〇・一度。二十七年の短い生涯だった。


■3都市での短い生
 旧満州(現・中国東北部)で生まれ、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)を卒業後、四二年に留学のため渡日し、東京の立教大で数カ月をすごしたのち京都の同志社大に移った。

 四三年夏、治安維持法違反(独立運動)容疑で逮捕、京都地裁で懲役二年の判決を言い渡され、四四年春、福岡刑務所に収監された。

 最後の三年間、彼の生は太平洋戦争と重なり、半ば以上は警察署の取調室、裁判所の被告席、刑務所の監房内にあった。没後三年の四八年に友人や親族が出版した遺稿刻W「空と風と星と詩」が一冊きりの詩集である。

 彼がつかの間生きた東京、京都、福岡の三都市で、没後五十年前後に彼の死の意味を考え、その詩を読む市民グループが生まれた。そして、没後六十年を追悼する市民の集いが、東京ではおととい、京都ではきのう開かれた。福岡市ではきょう開かれる。

 多くを平易な詩語でつづった彼の詩には、現代詩によく見受けるような難解さはない。ただ、深い。透明な叙情性をたたえ、ぴんと張った硬質な芯(しん)がある。詩人の茨木のり子さんは、その質感を「ピアノ線」にたとえた。

 彼の詩は、万華鏡のようにわずかに傾けただけで違った模様が見える。同じ作品でも、読むたびに違った印象を受けることがある。

 彼と作品について幾百もの著作や論文を書いてきた韓国の人々にとってさえ、未解明な部分があるのだ。

 彼は、日本による植民統治下で生まれ、亡くなった。彼の詩が深みを伴うようになったのは、過酷な時代の中で結晶したからである。

 四〇年には創氏改名が施行され、「朝鮮日報」や「東亜日報」が廃刊に追い込まれた。四一年には、朝鮮思想犯予防拘禁令、国防保安法、改定治安維持法が公布された。この年、日本は太平洋戦争に突入し、やがて、敗戦の日を迎える。


■針の穴の向こう側
 歴史の激動期に青春をすごした尹東柱は、朝鮮固有の文化が消えることに強い危機感を抱き、民族固有の文字であるハングルで詩を書き続けた。

 それ自体、支配者への抵抗性を帯びた行動ではあったのだが、書いた詩の大半は、自己の内側にらせん状に沈み込んでいく内省的なものだ。声高で明らかな抵抗詩はない。

 彼の詩行のひだには、時代に対する悲しみや苦しみ、時代と正面から切り結ぶような生き方ができない自己に対する恥ずかしさ、そして何よりも、新しい時代への希求が潜んでいる。

 詩人、画家、会社員、主婦らの小さな集まり「福岡・尹東柱の詩を読む会」では、各自が作品から受けた印象を重ね合って、隠し絵のような彼の思いを探し当てようとしてきた。

 発足して十年になる読む会の初期から参加している井上美貴子さんは、会報の第二号に「詩人に近づきたく通ってきましたが、詩人はますます遠くにいらっしゃいます」と記している。

 海のかなたの水平線は、そこに近づこうとしても先に退き、いつも遠くにある。井上さんが感じるように尹東柱の詩は、どんなに読んでも水平線のようになぞめいている。

 しかし、たとえ彼の詩魂の最深部になかなか降りていけなくとも、一点の針の穴をのぞくように尹東柱の詩の世界を見つめているうち、その向こう側に見えてくるものがある。

 それは、当時の尹東柱と同じように悲しみ、苦しみ、恥ずかしさと希求を抱いて生きた無名の、幾多の朝鮮半島の人々の姿である。

 日韓の人々が友情を深める上でいま最も大切なことは、重なり合わない部分を残している互いの歴史認識のずれを埋める作業だろう。

 尹東柱の生と死を手がかりにして日韓の過去と現在、そして望ましい将来像が焦点を結ぶかもしれない。

【写真】詩人・尹東柱(延禧専門学校卒業時)

投稿者 Imasato : February 12, 2005 11:48 PM
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