May 31, 2005

田植えに行きませんか?

「西海岸」の近く(新町通一条上ル)にある「エナジィ・ママ」という自然食品店で、次のような田植えイベントの案内をいただきました。どなたでも、どうぞ、ということなので、私も行ってみようと思います。よろしければ、ご一緒しませんか?(希望者は、私宛、メールをください。)

●“祝”の田植えに参加しませんか?
 今年も恒例の「祝」酒米の田植えをします。京都市内で唯一残る大規模な田園地帯「向島巨椋池」で思う存分泥だらけになって、先祖帰りしましょう。
 「京都の米で京都の酒を造りたい」との思いから、9年前から伏見の農家の山田豪男氏の田んぼでみなさまと共に無農薬有機栽培で、田植え、草取り、刈り取りを楽しんできました。
 昨年同様、多くのみなさまのご協力をお願いします。去年、田植えして頂いた祝のお酒も飲んで頂けます。
○日時: 6月12日(日) 午後1時集合
○場所: 近鉄向島駅バスターミナル(車で田んぼまでお送りします。)
○会費: 3000円 (中学生以下、無料)
 お酒、ビール、ジュースのほか、地鶏味噌焼きも予定しています。お楽しみに。

投稿者 Imasato : 01:47 PM | コメント (0)

May 26, 2005

世古一穂さん講演会&懇親会

5月30日(月)6校時の公共政策演習ⅠAの授業のときに、
●『市民参加のデザイン』
●『協働のデザイン』
等の著書で知られ、また、現在はNPO研修・情報センターを主宰して、多方面にご活躍の
世古一穂さん
をお招きして、
「協働のデザイン〜市民,NPO、行政、企業の協働の時代」
という演題でお話しして頂きます。
NPO業界ではカリスマ的存在の世古さんのお話、もしご都合がつきましたら、是非お聴き頂きたいと存じます。この授業はオープン・クラスにしますので、お知り合いにも声をかけていただけると幸いです。
なお、講義終了後、午後10時より「西海岸」で、有志による懇親会を行います。会費は1000円程度を予定しています。ふるってご参加下さい。

投稿者 Imasato : 10:45 AM | コメント (3)

May 25, 2005

Accessibile con aiuto

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先日23日のM2ゼミで紹介した、イタリア・フェラーラ市の車椅子マークです。
ご紹介したおとり「車イス可」「車イス不可」のほかに、
「介助者がいれば可」という記号があります。
観光マップにもそのような施設が散見されます。
アクセシビリティの保障のひとつの好例ですね。

投稿者 : 05:26 PM | コメント (0)

May 22, 2005

今里ゼミ・バーベキュー

五月晴れの日が一日ずれてしまい、雨となってしまったため、会場を「町家公共スペース(仮)」のほうに変更して行いました。炭火焼肉と今里先生お手製のカレー。おいしかったですね。
私はたいそう飲んで、靴を履き間違えて帰るし(青山くんごめん)、後片づけもほったらかしで失礼いたしました。

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投稿者 Nishimura : 11:27 PM | コメント (3)

May 18, 2005

特許庁が「NPO」「ボランティア」の商標登録を取消

角川ホールディングスによる「NPO」等の特許申請の件についてのニュースです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050518-00000291-jij-bus_all

なお、この異議申し立ての代理人をつとめた弁護士三木秀夫法律事務所の「NPOのコーナー」に決定書の全文が掲載されています。

投稿者 Nishimura : 03:28 PM | コメント (0)

May 16, 2005

"THE THIRD WAY #7"

p,44〜p,51
 『左派と右派の区別』つづき

現在は、左派と右派の主張が完全に異なる問題ばかりではない。社会民主主義者は単なる妥協ではない政治的中道、(穏健左派とは異なる)「活動的な中道」あるいは「急進的な中道」という概念を入念に検討すべきであるといえる。

なぜ、中道左派か。
(1)現在の諸問題は急進的な政策を必要としている。
  ・たとえば環境問題では、環境の不可逆性により、一刻の猶予もないため、急進的なものが望まれる。
(2)経済学者J・K・ガルブレイズはいう、
   “現代において裕福な人々は恵まれない人々の運命への関心を失っている。” 
 しかし、ヨーロッパ諸国における研究では、その逆が真実である。貧しい者から富める者への呼びかけによる同盟(ボトムアップアライアンス)は可能であり、「急進的」な政策(たとえば、環境問題に対する政策)のためには必要である。
(3)社会民主主義者は、「人々の積極的な人生選択を具現化できる社会」をつくるために、中道左派として脱皮しなければならない。
 *この『人々の積極的な人生選択を具現化できる社会をつくる!』が、『The Third Way』の基調である。
(4)かつてのように「左派」と「急進的」はイコールの関係で結ばれてはいない。「左派」と「急進的」であることの結びつきが弱まったことは、以前はあまりに高かった、政治思想の壁を越えた意見交換を可能にするという大きな収穫をもたらした。
  ・たとえば、新しい福祉国家を考える場合、社会民主主義者と新自由主義者とでは大きな見解の相違がある。しかし、その福祉国家のがどうあるべきか、という意見の相違はありながらも、全ての福祉改良者達が直面している問題が存在し、それに対しても、より「急進的」な再考が求められている。

 『ポリティカル・エイジェンシー』
 エイジェンシーとは?
principal—agency(本人—代理人)関係のなかの「代理人」
具体的には「有権者—政治家」(他の例として「株主—取締役」など)
代理されたことにより、義務を負う者。
  *日本語にするにはなかなか難しく、読書会では「エイジェンシー」で通しました。
 
 政治家、政府の役割の再検討
(1)社会民主主義政党は市民運動から生まれ、また新しい市民運動に先を越されつつある。またこの流れの中で、政治の地位低下も言われている。
(2)新自由主義者は政府の役割について批判し続けてきたが、社会民主主義者はその見方に反論すべきである。最近、政治の終焉、国家の衰退もいわれているが、だからこそ、今、政府の役割を再検討することは価値があることであるといえる。

 政府は何のために存在するのか
・多様な利益を代表するパイプ役
・その利益要求を調整する場の提供
・政策についてなんの束縛もなく、自由に討議できる場の提供
・集団安全保障や、福祉などの公共財の提供
・独占を防ぎ、公共の利益のために市場を規制し、市場競争を促進
・暴力を抑止し、治安を維持し、社会の平安を保つ
・教育の中核となり、人的資本を開発
・実効的な法の維持、整備
・ミクロ、マクロ、両面に対する直接的な経済運営
・議論はあるが・・・教育システムの中で「良き市民」となるための価値規範を 教え、広める(民度を上げる)
・国内外との連携でグローバルな目標を目指す

(1)政府と民間の活動領域が重なる部分もあり得るが、だからといって国家や政府が不要になったということは言えない。市場は政府の役割を担うことはできない。
(2)NGOなどの市民運動も社会的な存在感は増しているものの、政府を代行する事はできない。しかし、グローバリゼーションの中で、社会民主主義者が変化に対応できずにいたとき、NGOは変化に敏感に、その問題点を前面に押し出した。
(3)脱政治化が進展しているという見方もあれば、政治参加が広がったと考える見方もある。
(4)ウルリヒ・ベックは、政治が議会から、単一争点を中心に形成される市民グループへ移る「下位政治」の出現について言及し、その市民グループである、グリーンピースやオックスファムは世界規模で活動している。
(例)シェル石油のブレントスパー油田掘削装置海洋投棄問題
環境保護団体は不買運動に乗りだし、シェルの態度は大きく変化した。
シェルの変化は、NGOなどの新しい市民グループがグローバルに活動するようになり、多国籍企業は彼らの活動を無視できなくなったことを示している。 
(5)提案する市民グループは、政治家に先駆けて環境問題などの新しい問題に取り組むきっかけをつくってきた。
文芸評論家ハンス・マグナス・エンツェンスベルガーはいう、
“ドイツにおいて、また他の国々においても、政治家への関心が薄れているにもかかわらず、政治はうまくいっている。つまるところ、(政治家は)何の役にも立っていないのである。”

〈私が理解できたこと〉
 『左派と右派』のまとめとしては、「中道左派」を見直す必要があるのはなぜなのか、また、「急進的(ラディカル)」が必要とされる現在の社会背景が論じられていました。読書会に参加させていただいて、現在の環境問題と急進的(ラディカル)な活動が「不可逆性」をキーワードに結びつくことが理解できました。
 『ポリティカル・エイジェンシー』では、最近よく耳にする「政治」や「政府」の地位の低下を認めつつ、政府の役割とは何なのか、民間やNGOで政府の役割が本当に果たせるのか、といったところを再度確認しています。
 ギデンズは“オーバーラップする箇所はあっても、やはり「政府の役割」というのが存在する。”としながらも、市民活動団体などが政府に先駆けて問題提起をしたことを評価し、グローバリゼイションの広がりとのかかわりの中で、政府ばかりでなく、多国籍企業などにとっても“無視できない存在になった。”としています。
本来的行政責任(手島孝「現代行政国家論」)の範囲(治山治水など、行政の仕事だと異論の出ないもので、行政のコアの部分であり、いわば、未来永劫、行政責任範囲からはずれることができないもの)はどこまでか、そしてその部分以外のどこまでをどの程度行政の役割とすべきなのか。「民営化」とはなんなのか。日本でもますます注目される論点であろうと感じました。

投稿者 : 07:00 PM | コメント (1)

May 12, 2005

少年団の歴史

bs.jpg 修士論文に関連して「少年団の歴史 戦前のボーイスカウト・学校少年団」(上平泰博・中島 純・田中治彦共著・萌文社)という本を読みました。20世紀はじめ、大英帝国の繁栄に陰りが見えはじめるイギリスで生まれたボーイスカウト運動がまもなく日本に伝来し、また創始者のベーデン・パウエルも日露戦争で勝利した日本の武士道に注目していること。また日露戦争の名将とうたわれる乃木希典が、1911年(明治44)イギリス訪問時に出会ったボーイスカウトに触発されて、同年夏に当時院長をしていた学習院の生徒達と神奈川県の片瀬海岸で三週間におよぶ教育キャンプを行っていることも新しい発見でした。
 「将来の兵士養成」ではなく「平和の斥候」であると当時の指導者たちは強調しつつも、二度にわたる大戦、そして独ナチスの「ヒトラー・ユーゲント」やソビエトの「ピオニール」などボーイスカウト組織をモデルとした巧みな利用などもあり、世界的にも、また日本においてもこの運動が曲折していく様子がわかりました。
 「こども中心」「経験主義的」な学びのありかたの原型をつくったともいえるボーイスカウト運動は日本の「自然学校」の展開にあたっても重要な役割をもっているといえますが、時代背景や価値観とこうした運動の展開が大いに関連していること。そしてまた、こうした子ども組織が権力者の手により国家規模の青少年組織として巧みに利用される恐れがある危険性を学ぶことができるでしょう。

投稿者 Nishimura : 11:03 PM | コメント (0)

May 10, 2005

Love Japanese Countryside & Local Food!

愛媛大学の先生、野崎賢也さん(農村社会学者)のブログ「のざ研 【風土・食・農林漁】~Love Japanese Countryside & Local Food!」を紹介します。(野崎さんとは、彼が京大大学院在学中からのご近所飲み友達です。)
ニューヨーク州イサカのコーネル大学に3〜4月のあいだ短期滞在していて、周辺の農と食情報をたっぷり仕入れて掲載しています。(先週帰ってきたそうです。)
そして昨年はイタリア・サルディ二ア島のアグリツーリズモにいってたとは!(しらんかった!)
丁度今夜のM2ゼミはアグリツーリズモの話題でしたので。

「のざ研 【風土・食・農林漁】~Love Japanese Countryside & Local Food!」

投稿者 Nishimura : 12:54 AM | コメント (0)

May 09, 2005

西村さんの“強敵”現る?

自然の力を体験!「清水國明の自然樂校」全国展開へ (サンケイスポーツ)


自然の力を体験!「清水國明の自然樂校」全国展開へ (写真提供 産経新聞社)
 タレント、清水國明(54)が、親子の自然体験を支援しようと開いた「自然樂校(がっこう)」(山梨)を全国展開することが6日、分かった。すでに株式会社化し、全国の自然樂校など7企業・団体との提携が決定。今後株式を公開し、最大の夢「小児がん患者らが自然と触れ合える場所作り」を実現させる。「猫ニャンニャンニャン」などで一世を風靡(ふうび)したあのねのねの“アウトドア派”清水が、「鳥チュンチュンチュン」の自然界で頂点を目指す。〔写真:“あのねのね”とばかりに丁寧にマス釣りを指導する清水國明。この釣り堀も自身が掘った〕

 鳥のさえずりが聞こえる森の中の敷地内。「校長!」と呼ばれるその先に、日に焼けた清水の姿があった。ちびっこにマス釣りを指導。インタビュー中でも子供たちに頼まれれば「ちょっと待ってて」と言い残し、一目散にミミズを獲りに行く。

 清水の自宅兼活動拠点は、山梨・富士河口湖町の「森と湖の楽園・自然樂校」。もともと森の中の幼稚園だったところを、平成15年9月に訪れて気に入り、同校舎と周囲の土地約5000坪を借りて翌月に開校。アウトドア仲間が手伝って、ウッドデッキ、ログハウス、ターザンロープなどを手作りした。現在はプレオープンの形で、釣り教室、カヌー教室、トレッキングなどが楽しめ、今年7月にグランドオープンする。

 「開校の翌月、合併して誕生した富士河口湖町の転入第1号になったんです。でも家族は東京。娘3人は『いってらっしゃい』だけで遊びにも来ない」とボヤくが、昨年NPO(特定非営利活動)法人の認可を受け、助成金事業として同校で自然体験イベントを行ったところ300人超の子供たちが集まった。

 しかし、「事業は自己負担金がバカデカイ。不足分を芸能活動で補ってきたけど…このままじゃアカン、稼がなと思って」とNPO法人は別に維持しながら、今年3月に株式会社化した。

 その後、出資、協賛企業探しに奔走。そんな矢先、「沖縄の自然学校から提携の申し入れがあったのです。学校名の前に僕の名前が入るんですわ」といい、全国7企業・団体と提携にこぎつけた。「こちらから人を派遣し、うちの運営システムを取り入れてもらう。ビジネスモデルとして全国展開します。47都道府県に1校ずつ、会員証一つで全国で利用できるようにしたい」。3年後をメドに株式を公開予定で、その先にはもっと大きな夢がある。

 「小児がんの子が自然と親しめるキャンプ場を作りたい。自然の力で奇跡も起きる」。それに向けてタイミングよく、横浜の病院から同校でリハビリを行いたいと申し入れがあり合意。「自然の治癒力がデータで示せれば」という。

 夜10時に就寝、朝3時に起床。あのねのねの全盛時代と今の生活はずいぶん違うが、「自分が好きなことをして、人に喜んでもらって、自分も喜ぶ点は変わらない。喜ぶ顔をぎょうさんにしたい」。子供のような笑顔で話した。

投稿者 Imasato : 08:05 AM | コメント (1)

May 08, 2005

「町家公共空間(仮)」プレオープン

本日、今里ゼミ生が中心となってプロデュースする「町家公共空間(仮)」のプレオープンを行いました。朝採りのタケノコや山菜を中心に旬の味を楽しみました。
会場のお掃除、設営にお料理に大活躍のみなさん、そしてご参加いただいたみなさんありがとうございました。25名参加の大盛況!でした。
今後ともご愛顧・応援をお願いします。

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投稿者 Nishimura : 11:56 PM | コメント (1)

教育お茶会の報告と連絡

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先月から始まった「教育お茶会」
4月6・19・29日と3度で『脱学校の社会』を読了しました。
今月からはJ.デューイ『学校と社会』を講読します

教育お茶会は「広義の教育」について幅広〜く考え、議論する会です。
今月からは実践主義教育の古典、デューイの『学校と社会』を講読します。
第4回のお茶会は来週はじめ頃を予定しています。
詳細はML参加者にお知らせします。ML参加希望は北村までどうぞ

▽4月の読んだ本
I.イリッチ『脱学校の社会』
W.E.B.デュボイス『The Souls of Black Folk』(♯2で米島さんが紹介してくれました)
鷲田清一『「弱さ」の力』
Booksアーカイブスに書評を掲載しています

北村英之
dbe0114@mail3.doshisha.ac.jp

投稿者 : 09:41 AM | コメント (0)

May 06, 2005

"THE THIRD WAY #6"

連休明けですが、またすぐに週末ですね。
遅くなりましたが4月20日の読書会の概要です。(#5の報告が未だですが)

『左派と右派の区別』(続き)

ボッビオ(イタリアの政治評論家)
・左派と右派の区別は、以前のような意味はなくなっている。
・平等をどう考えるか。左派は「平等であるべき」、右派は「平等なんてあり得ない」
・左派と右派の主張の違いは状況次第。
左派が方向感覚を失ってしまったのは
・左派がいまだかつて遭遇することのなかった諸問題に直面している。
・「社会変革計画」の前提が現実離れしてきた。

・左派=社会的な公正の実現、「解放の政治学」への信仰がアイデンティティー
・極度に不平等な社会=犯罪の増加などの社会不安
・先進国に極左はいなくなったが、極右は台頭しつつある。
・左右両派の仕切が、政治的に意味をもつかどうかが、社会民主主義の今後をみるうえで重要。

左右対立の図式は崩れている。
・旧来の左派の「進歩史観」=社会主義と科学技術は進歩し続ける。これはもはや無い。
・経済体制としての社会主義はもはや無い。資本主義に替わるものがないいま、どの程度まで、いかにして資本主義を統制すべきかというのが、唯一残された問い。

今日、左右対立の図式からはみだす問題が出てきた。
・環境、家族、労働、個人や文化のアイデンティティにかかわることなど。
・いずれも社会的公正や解放にかかわるが、個々の問題を見ると、そういった価値と食い違いをみせる。
・ギテンズいわく「Life Politics(生活の政治学)」が必要。
・それは選択、アイデンティティー、相互依存関係に配慮する政治学である。

【私見】
日本においても、右派と左派の対立点を見いだすのが難しくなっています。こうした対立の構図が明確にできた時代は旧社会党や共産党が影響力を持ち得ました。
しかしいまや与野党の論の違いも自民(+公明)vs民主という構図になってから、どこがどう違うねん。という感じです。(郵政民営化についての自民党内の対立のほうが分かりやすいですよね。)
こういう時代だから、ギデンズのいう「Life Politics(生活の政治学)」の大切さがわかります。個々の問題・課題に関して、政治家が「私はいつまでにこうします」という契約(マニュフェスト)を市民と交わしていく必要性があるのです。

投稿者 Nishimura : 11:29 AM | コメント (0)

May 02, 2005

工事進行中

NEC_0116.jpg

今日博遠館に行ったら、博遠館北側で門の新設工事をやっていました。相国寺方面に直接出入りできると、寒梅館や地下鉄の北改札方面に行くのが便利になりますね。
大学院図書室も入口の工事をしていました。ドアが1枚分、小さくなっていました。

工事のおかげで研究室にはうるさくて居てられず、必要な本だけ取って帰ってきましたが…。

投稿者 Nishimura : 03:16 PM | コメント (3)

May 01, 2005

公共空間プレオープンセレモニー(仮)

「知的醸成空間」を目指す酒会・・・もとい社会実験!!
今出川キャンパス近辺の町家からスタートします

本多さんによる公共空間オープン宣言はこちら

参加条件は不問。ただし事前の申込みが必要です!
*
日時 5/8 17時 今出川校地 西門(正門にあらず!)集合
       集合次第開始、食事及び歓談、その他
       (下準備等の手伝いが可能な方は15時に西門集合)
*
メニュー   山菜天ぷら と 竹の子ご飯 ほか 各種飲み物
参加費    1500円程度(予定)

!!重要!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
材料数確定のため、参加希望の方は
5/5(木) 迄にその旨ご連絡下さい。
連絡先:澤井昭宏 090-2016-6656
     dbe0138@mail3.doshisha.ac.jp
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

—H.アーレント=J.ハーバーマスによる公共圏− 

「知的醸成を目指す公共空間」のオープンにあたって、
H.アーレントの理想とする公共圏の概念を援用します。

[理論的枠組み]

「最後に公共性の問題が残る。差異や多様性を容認するということは、他者に対する
「自由放任」(anythinggoes)のような寛容を意味しないだろう。私的判断とは異な
り、政治的判断は他者の価値判断の修正、変更を迫るものを含んでいるからである。
言葉を換えて言えば、公的領域は存在の世界ではなく、現われの世界であるために、
人々のドクサの違い(私にはこう見える)によって多様な面を見せる。人間はそれぞ
れが特徴をもった存在であるため、公的領域についても様々な見方が存在する。その
ためこの公的領域は多様な意見が競合する場となるが、この状況を克服するために公
共性の問題が現れる。諸個人がそれぞれ善く生きることではなく、共に善く生きるこ
とを目指すとき、ここに共生の問題が浮上するのである。」(杉浦・2002『ハンナ・
アーレント入門』p.57)


「「政治の存在理由は自由であり、自由が経験される場は活動である」と述べたが、
この「活動」の場が「公的領域」である。市民は共通の公的世界の建設をともに担
い、そこに異質な複数の他者と集団が相互に共存するための空間をつくり上げる。こ
の空間こそが政治のための空間である。しかし、この共同空間は共通の善や真理を認
めることで得られるアイデンティティーを基盤とした共同体を指すのではなく、自分
とは違ったアイデンティティーを持つ他者と、共通の関心を共有する空間なのであ
る。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.59)


「アーレントによれば、ギリシアにおける私的領域は家政である。「生活における私
的領域と公的領域との間の区別は、家政と政治的領域との区別に対応するものであ
り、この両者は少なくとも古代都市国家の勃興以来、明確に区分された実在として存
在してきた。」これに対して公的領域とは政治的領域である。「政治的であるとは、
すなわちポリスにおいて生活するとは、すべての事柄を強制と暴力によってではな
く、言語と説得によって決定することを意味していた。」このような世界では、私的
領域は、単に動物的水準において人間の生命の再生産を図る場所であり、それ以上の
意味を持ちえない。真の公共性は、むしろ人間が生命の再生産の過程から開放された
空間の中に存在する。公共をめぐっては、結局、この問題を権力機構や支配の問題に
置き換えてしまうものが多いが、同じ公共性でも、それぞれ異なった複数の人々が共
存するなかから醸成されるような公共性こそをアーレントは問題にしているのであ
る。さらにコンセンサス重視のハーバーマス流の公共性にしても、そこでのコンセン
サスの形成には均質化、同質化の圧力が働き、結局、他者の排除を伴うものである
が、アーレントは、あくまで複数性を保障した公共性を保障した公共性を主張するの
である。この点重要なのは、アーレントの言う「公的領域」は「現れの空間」である
ということである。この世界は単なる共通の意思形成の空間ではなく、人々の多様な
パースペクティブによって多様な相貌を見せる空間なのである。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.198)


「ここにおいてこそアーレントの言う「公共性」「公開性」の概念が意味を持ってく
る。すなわちすべての人への公開に耐えうる行動を自らに課すことこそ、私的利害の
基づく行動を公的行動へと転化することなのである。あらゆる他者にとって妥当なも
のだけが、公平で正義にかなうものとなる。公開されることで特殊利害は払拭され
(他者の存在があってはじめて自己利害を放棄できる)、判断は私的から公的に反転
する。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.202)

投稿者 : 11:21 AM | コメント (0)