「知的醸成空間」を目指す酒会・・・もとい社会実験!!
今出川キャンパス近辺の町家からスタートします
本多さんによる公共空間オープン宣言はこちら
参加条件は不問。ただし事前の申込みが必要です!
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日時 5/8 17時 今出川校地 西門(正門にあらず!)集合
集合次第開始、食事及び歓談、その他
(下準備等の手伝いが可能な方は15時に西門集合)
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メニュー 山菜天ぷら と 竹の子ご飯 ほか 各種飲み物
参加費 1500円程度(予定)
!!重要!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
材料数確定のため、参加希望の方は
5/5(木) 迄にその旨ご連絡下さい。
連絡先:澤井昭宏 090-2016-6656
dbe0138@mail3.doshisha.ac.jp
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—H.アーレント=J.ハーバーマスによる公共圏−
「知的醸成を目指す公共空間」のオープンにあたって、
H.アーレントの理想とする公共圏の概念を援用します。
[理論的枠組み]
「最後に公共性の問題が残る。差異や多様性を容認するということは、他者に対する
「自由放任」(anythinggoes)のような寛容を意味しないだろう。私的判断とは異な
り、政治的判断は他者の価値判断の修正、変更を迫るものを含んでいるからである。
言葉を換えて言えば、公的領域は存在の世界ではなく、現われの世界であるために、
人々のドクサの違い(私にはこう見える)によって多様な面を見せる。人間はそれぞ
れが特徴をもった存在であるため、公的領域についても様々な見方が存在する。その
ためこの公的領域は多様な意見が競合する場となるが、この状況を克服するために公
共性の問題が現れる。諸個人がそれぞれ善く生きることではなく、共に善く生きるこ
とを目指すとき、ここに共生の問題が浮上するのである。」(杉浦・2002『ハンナ・
アーレント入門』p.57)
「「政治の存在理由は自由であり、自由が経験される場は活動である」と述べたが、
この「活動」の場が「公的領域」である。市民は共通の公的世界の建設をともに担
い、そこに異質な複数の他者と集団が相互に共存するための空間をつくり上げる。こ
の空間こそが政治のための空間である。しかし、この共同空間は共通の善や真理を認
めることで得られるアイデンティティーを基盤とした共同体を指すのではなく、自分
とは違ったアイデンティティーを持つ他者と、共通の関心を共有する空間なのであ
る。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.59)
「アーレントによれば、ギリシアにおける私的領域は家政である。「生活における私
的領域と公的領域との間の区別は、家政と政治的領域との区別に対応するものであ
り、この両者は少なくとも古代都市国家の勃興以来、明確に区分された実在として存
在してきた。」これに対して公的領域とは政治的領域である。「政治的であるとは、
すなわちポリスにおいて生活するとは、すべての事柄を強制と暴力によってではな
く、言語と説得によって決定することを意味していた。」このような世界では、私的
領域は、単に動物的水準において人間の生命の再生産を図る場所であり、それ以上の
意味を持ちえない。真の公共性は、むしろ人間が生命の再生産の過程から開放された
空間の中に存在する。公共をめぐっては、結局、この問題を権力機構や支配の問題に
置き換えてしまうものが多いが、同じ公共性でも、それぞれ異なった複数の人々が共
存するなかから醸成されるような公共性こそをアーレントは問題にしているのであ
る。さらにコンセンサス重視のハーバーマス流の公共性にしても、そこでのコンセン
サスの形成には均質化、同質化の圧力が働き、結局、他者の排除を伴うものである
が、アーレントは、あくまで複数性を保障した公共性を保障した公共性を主張するの
である。この点重要なのは、アーレントの言う「公的領域」は「現れの空間」である
ということである。この世界は単なる共通の意思形成の空間ではなく、人々の多様な
パースペクティブによって多様な相貌を見せる空間なのである。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.198)
「ここにおいてこそアーレントの言う「公共性」「公開性」の概念が意味を持ってく
る。すなわちすべての人への公開に耐えうる行動を自らに課すことこそ、私的利害の
基づく行動を公的行動へと転化することなのである。あらゆる他者にとって妥当なも
のだけが、公平で正義にかなうものとなる。公開されることで特殊利害は払拭され
(他者の存在があってはじめて自己利害を放棄できる)、判断は私的から公的に反転
する。」
(杉浦・2002『ハンナ・アーレント入門』p.202)