October 16, 2005

「みる・かんがえる・つたえる」とは

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京都大学総合博物館で今日行われた「視覚障害者とともに考えるサイエンスコミュニケーション」に参加してきました。その報告と感想です。
対話によって「伝える」そして「みる」ということの問題を考えるには絶好の企画でした。

※少々長くなっています。1の次に5を読まれてもだいたい分かると思います。そこから2や3に戻るとよいかもしれません。

企画次第は以下の通りです(引用一部改)

>*********************開催次第********************************
> □事業名:
> 「視覚障害者とともに考えるサイエンスコミュニケーション」
> □企画者:
> 塩瀬隆之(京都大学情報学研究科システム科学専攻 助手)
> □主 催:
>  京都大学21世紀COEプログラム「知識社会基盤構築のための情報学拠点形成」
> □協 力:
>  京都大学総合博物館(担当:大野教授)
> (http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/)
>  Museum Access View(ミュジアム アクセス ビュー)
> (http://www.nextftp.com/museum-access-view/)
>
> □目 的:
>  将来,博物館などで活躍する学芸員を目指す学生を対象に,
>  サイエンスコミュニケーションの本質,「分かりやすく伝えるとは何か」
>  を深く考える機会の提供
>
> □背 景:
> 視覚障害者と言葉で美術鑑賞するとりくみが注目を集めている.
>  作られた時代背景や作風などテキスト化された情報よりはむしろ,
>  感じたありのままを言葉で表現し,その表現されたイメージを題材に
>  コミュニケーションを深めていくことが期待される.ここにコミュニケーション
>  の本質が見出される.昨今,サイエンスコミュニケーションの重要性が
>  広く認識されてきているが,上意下達的に知識を伝達するスタイルが
>  払拭できずにいる.美術鑑賞とたとえば博物館鑑賞とでは,まったく
>  意味が異なるが,真のサイエンスコミュニケーションを模索する上で,
>  視覚障害者とともに「分かりやすく伝えるとは何か」を考えることは
>  非常に示唆に富むコミュニケーションの場と考える.
>
> □スケジュール:
> 学生向け講演+鑑賞会+ディブリーフィングの三本立て
>         ----------------------------------
>  10:30−10:45 開会,趣旨説明(主に学生向け)
>  10:45−11:15 講演1:情報学/塩瀬隆之
>  11:15−12:00 講演2:人文研/加藤和人先生
>        ----------------------------------
> 13:00−13:30 集合,趣旨説明,班分け
> 13:30−15:00 博物館鑑賞
>  15:30−16:30 茶話会(博物館の一室)+閉会
>         ----------------------------------
> □実 績:
>   1)視覚障害者の文化アクセスとソーシャル・インクルージョン促進事業
>   http://www.ableart.org/choju04/312forum.html
>   2)視覚に障害のある人との言葉による美術鑑賞ハンドブック
>   http://www.ableart.org/handbook/
>
> ********************************************************************


では、流れに沿ってお話しします。

1.講演1(塩瀬さん)

塩瀬さん(情報学)のお話は、「ロボットと美術鑑賞を楽しめるか?」という疑問が出発点。作品を一気に画像処理して記憶しちゃうし、作者とか制作年とかスパスパ読み込んでいくロボットと一緒に絵をみるとしたら、彼(ロボットくん、彼女?)は数秒で「鑑賞」を終えて次にいくだろう、と。でもこれは美術鑑賞とは言いがたい、何が足りないのか。
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その足りないものとして「コミュニケーション」が想起されます。絵を前に言葉を交わしつつ鑑賞する。その中から新しい発見や解釈が生まれる。それが端的に効果を示すのが視覚障害者と美術をみる場合というわけです。絵を視覚的にみることができない人と絵を「みる」場合、言葉の重要度は圧倒的に大きくなります。すると、「絵をありのままに、客観的に伝えられるか」という問題が出てきます。
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「客観的」とはどういうことか。言葉を尽くしても情報伝達を正確に行うのは難しい。(電話で名前を伝えるのも難儀ですしね。ぼくの場合さいごの「之」^^;)。塩瀬さんのお考えとしては「気負わずに、ありのままに」言葉にすることがベターとのこと。実際、視覚障害者の人たちも辞書的な説明よりそうした主観の交換を求めている部分が大きいようです。まさに対話の中から共通理解に達するというわけですね。
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そこで美術鑑賞一般に立ち戻ってみると、果たして視覚情報をほぼ100%受け取れる私たちも作品をそれほど十分に「みて」いるかという疑問が出てきます。単に細部まで目を凝らして対象を全て把握するというわけでなく(それはロボットの画像処理)、ましてや作者や技法といった「絵の中にない」情報に左右されるでもなく、眼前の作品にどれほどの疑問や違和感や共感やなんやらを持ち、それを考えることができるか。さらにはそれを「話す」ことで自分から発することができるか。この点を「画家の表現の追体験」(今回は博物館だったので「科学者の発見の追体験」とも)と説明されたのは、内面化とその再表出という「鑑賞」の一つの目標として明快でした。
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ここまで、対話型美術鑑賞の本分「みる・かんがえる・はなす」と問題意識からアプローチから目標まで完全一致でびっくりしました(パワポがすばらしかった。)
さいごに、今回は博物館ということで、一部に自然物が含まれいる点が100%人造物の美術館とは違うという点、それから科学的事実をコミュニケーションを通して理解していくという、サイエンスコミュニケーションの問題意識を説明されて、見事30分でした。

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2.講演2(加藤さん)

つづく加藤さん(生命文化学)のお話しは、科学的客観的事実をいかに伝えるかという問題でした。
序盤で紹介されたのはイギリスの例。19世紀の科学者ファラデーの「ローソクの科学」(よく知らないけど、たぶん市民向け講義)以来の伝統を持つイギリスでも科学技術の進歩と市民の理解に乖離が生じ、80年代にはThe Public Understanding of Science(P.U.S)という市民向けの啓蒙の必要が提唱されたそうな。ところが90年代にはBSE問題、遺伝子組換え、そしてクローン羊ドリーと、科学的合理性を主張しただけでは市民の理解を得られない倫理レベルの問題が相次ぎ、市民との「対話」が求められるようになります。今里先生の昨年の講義で取り上げられた科学的客観性と妥当性境界の問題と同じですね。
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加藤さんはこうした「科学的事実をいかに市民に伝えるか、社会に存在させるか」をテーマに以前から取り組まれ、一方通行の宣伝ではなく「ダイレクトで双方のコミュニケーション」による科学的事実の伝達、Public Science Meeting with Exhibitionを提唱されています。具体的には02〜04年に遺伝子研究を紹介する「ゲノムひろば」などを紹介されました。またこれからの研究者にはいかに成果を伝えるか、こりゃinterpritationの能力ですね。まさに。

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3.昼食@セミナー室

昼食からは学生と視覚障害者の方とで班分けされて行動。北村は佐藤さんと視野障害のNさん(矯正視力は1.0以上あるけれど視野が極端に狭く、白杖が「あると便利」なくらいの障害とか)、そしてそのご友人と4人でグループに。「白杖もつと社会がみえますよ」と仰るNさんは「この方がサマになるから^-^」と白杖を持たれたとか。ポジティブで明るい素敵な方でした。その他に参加されていたのは全盲の方が多かったようです。
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昼食後には京大博物館の名物教授(?)、大野照文先生の館のなりたち。「京大は108年。煩悩の年月の間に先生たちは標本を250万点も集めました」と。館長以下教員スタッフ10名を擁する反面、正規の学芸員はおられないとか。うーむ、やっぱお金の流れ方がヘンだ。 筆舌に尽くし難い超触覚体験ができる「ベルベット・ハンドイリュージョン」でセミナー室が「ゔあ゙ぁぁぁぁ〜」という声に包まれたところでいざ、展示室へ。

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4.展示鑑賞

私たちの1班はまずは、1階エントランスで学生ボランティアが各研究分野を紹介する「子供向け」コーナーを占拠して、カメやトリやらの頭蓋骨標本と分類学のお話しに聞き入ってました。素朴な北村少年の「ヒトって1種類ですか?」との質問には「交配可能という意味では1種類、でも分類方法次第では判然としませんね」って。へぇ。亀の甲羅の裏側にくっついてる脊椎は見物でした。へぇへぇ。
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さて展示室行かねば。ここからは本来「視覚障害者との展示鑑賞」の模様をお話しすべきですが、Nさんがなんせ視力1.2なのでうちのグループではあまり際立ったことは少なかったのは事実です。が、大野教授が特別ということでストロマトライト(大気中の酸素をつくってくれたありがたいバイ菌)の化石からゾウの歯の化石から重要文化財の石棺までペタペタ触らせてくれました。詳しくは後述しますが、このアクリルケースを取っ払って触らせてくれたというのは一つポイントです。また、教授のお話しが抜群におもしろかった。ここもポイントなので後述します。
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皆さま、京大博物館にお越しの際は知り合いでなくとも「大野先生お時間ありますか?」と聞いてしましょうね。 例によってみんなでみれば楽しくて時間はすぐに経つ。あっという間に約2時間の鑑賞終了。

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5.まとめの会(小学校風?)

再びセミナー室。人数が多いので各テーブルごとにディスカッションし、報告。話題になったのは触覚と想像力でした。「触れるものをもっと。」いわゆるハンズオンですね。視覚障害のある人にとっては「触ってはじめてみえる」というのも事実。ただこの要望には、先述の通り大野先生がペタペタ触らせてくれたことが多少影響していたようです。塩瀬さんもコメントされたように「触っても全部は触りきれない」のもまた事実なわけです(ゾウの全体は触れないゾウ)。触覚や味覚はダイレクトに身体に響くので大きな手がかりですが、逆にそれだけでは伝達「量」に不足が出てしまう。やはり視覚を聴覚に置き換えて伝える必要性は大きいですね。
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で、これについては美術家・光島貴之さんからこんなご意見。「たしかにゾウの全ては触れない。けれど一部に触れることで得た情報はそこから先への想像力をふくらませてくれる。」と。サモトラケノのニケ像は頭部がないから想像力をかきたてる、といったのは小林秀雄でしたっけ。なるほど「想像力を喚起するリアリティ」というのは、情報の良し悪しを判断するひとつの基準かもしれませんね。
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また、大野教授や解説員のトークがおもしろかった、あるいは声がよかったという意見がありました。対話型鑑賞でもナビゲーター全員に共通するコミュニケーション・メソッドは重要ですが、やはり本番で鑑賞者の前に立つのは一個人なんですよね。そこでいかにそれぞれの素質、個性を活かしていくかは、やはり大きなテーマでしょう。大野教授のトークについてはボクなりにある程度分析できました。鑑賞者の日常に近づけるというアレです。カキ(牡蠣)の進化戦略でも「このカキは殻が多くて食べる方にはかなわんな。」石棺の変遷でも「陶製(須惠)の棺はわが社だけ。どや、ひとつ買っときませんか。」ね。
最後ははこだて未来大の伊藤精秀助教授のお話などでしめくくり。ありがとうございました、おつかれさまでした。

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6.思ったこと考えたこと

①コミュニケーションの目的はなんだろう?
対話型美術鑑賞でも「コミュニケーションによる」という点を重視しますが、なぜコミュケーション(対話)なのでしょう。例えば情報の共有あるいは共同理解が「目的」ならばコミュニケーションは「手段」になります。ならば情報共有では各個人のバックグラウンド(既知の知識とか、“community”)の格差も課題になってくるし、それにコミュニケーションは情報伝達経路に過ぎなくなる。うーん。
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あるいはコミュニケーション自体が「目的」という言い方もできます。昨今は「コミュニケーション」と付ければ教育業界でも価値有り◎とされるきらいがありますが。それなら今度は目的を達成したときの「成果」は何でしょう。あるいは光島さんの言われた「想像力の喚起」かもしれません。あるいは、塩瀬さんの言う「関係づくり」、つまり伝える、教わるという人間関係を成り立たすための基盤整備なのかもしれません。このへんは、考えていかなきゃですね。

②想像力?
考えてみれば、しょせん客観的事実は「伝える」ことができても「伝わる」かは分かりませんし、伝わらなかった部分を補うのはその人の想像力です。それを促すための作業としてのコミュニケーションとはいえそうですね。しかし、私たちの鑑賞では、作者だの制作年だの「名画」「巨匠」だのによって「想像すること」を相当にジャマされていることは随分実感しています。それらを一時停止して想像力を使うことにどういう効果があるのでしょ。
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トークの場合、おもしろいに留まらずそこから何か情報を得るまでには、やはりその前に関心や興味が高まっていることが大切でしょう。そうした「理解」に至る条件整備に「なんじゃこりゃ?」とか「もしや……かな?」と想像しておく、そうして「Wow , Huh…, Aha!!」だっけ。アメリアの情報提供の3パターンに合致するタイミングでinformationを提示することが効果的なのでしょうかね。このへんももうちょい詰めてみたいですね。

まぁ他にもメモには「間主観性」とかコミュニケーションの「物語性」とかありますけど、もういいや。おなかいっぱい。塩瀬さん、貴重な機会をありがとうございました。


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文責:北村英之
dbe0114@mail3.doshisha.ac.jp
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投稿者 : October 16, 2005 11:55 PM
コメント

troppo lunga. ti prego, riassumi ogni paragrafi.

明日の発表を楽しみにしています。

Posted by: sawai : October 18, 2005 12:37 AM

対話型美術鑑賞でも今回でも、社会的意義はいくらでもでっち上げられます。VTCをやって感じた変化は、1人で見る時間がより豊かになったことだったりします。アート好きには所詮、面白い鑑賞方法が増えるだけなのかもしれません。

あと、無知の状態でVTCというのはありえません。だから、巨匠の絵なら、それとしてVTCを行うのも興味があります。これは、今のVTCとは趣が少し異なると思いますが。あとあと、個人的には、VTCを理数学で使いたいです。

それから、或る程度の「背景の格差」は対話を面白くさせます。

私も行きたかった〜!

Posted by: わか : October 21, 2005 12:53 PM

補注:↑の「わか」は京造大の「わか」きホープさんです。

でっち上げも世間を納得させれば大義名分です。要はそこのレトリックなんだな〜。がんばろう。

Posted by: kitafee : October 24, 2005 03:20 AM
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