October 31, 2005

シンポ「東アジアの鑑賞教育を考える」

岡崎の京都国立近代美術館にて開かれた日本美術教育学会のシンポジウム
「東アジアの鑑賞教育を考える」に行ってきました。
「東アジアとの比較の中で日本の鑑賞教育を考える」なかなか興味深くて示唆に富んだ内容でした。
例によってご報告です。今回は手短です。


前半の講演会は中国・武漢大学の陳望衡教授による近代中国美学の概説。
西周・中江兆民ら近代日本の学者たちが西洋美学をどのように摂取したのかを参照しつつ、王国維・魯迅ら近代中国の文人たちはどのように西洋美学を根づかせようとしたか、とか。
神林恒道『美学事始』(勁草書房,2002)に触発されて、その中国版の研究という位置付けでした。なかなか日本でも中国でも聞けない詳しく明快な解説で、近代美術屋さんのボク的にはめちゃ楽しかったです。

さて後半のシンポ。
「東アジアにおける鑑賞教育の現状調査ならびに比較研究」はH16-17年度の科研費研究。これは日中台韓の美術(科)教育の比較検討というのが大きな目標で、今回はその経過報告という名目でした。
発表者の萱のり子先生(大阪教育大学教授)は書道と美術の取扱いに関する比較、新関伸也先生(滋賀大学助教授)は4国の指導要領や教科書、カリキュラムの比較をそれぞれ報告されました。
萱先生は単一的な芸術概念であった東洋の「(詩)書画」が、西洋的な「音楽・美術・演劇・・・」という区分的な概念に移行した経緯を述べられ、明治期の学生発布以降の学校教育における「書」と「画」の変遷を概説してくださいました。
その上で書道においては「臨書」とい、「書くことを通して見る、見ることを通して書く」という表現と鑑賞の相互深化の場があるのに対し、美術ではそうした体験(「臨画」)が乏しいのではないかとの指摘でした。


つづく新関先生で興味深かったのは、
日本以外の中台韓いずれもが美術科というより「芸術科」であるという点。
その特徴をまとめると、

1.美術・音楽・書道・工芸・演劇・意匠などが一体化している
(教科書も一冊にまとめられていたりする)

2.いずれの分野でも表現と鑑賞が両立している。
「鑑賞」では批評や実生活への応用などの「内面化」も意識されている
(中国では「造形・表現」「設計・応用」「鑑賞・評論」「総合・探求」

3.各国の伝統文化や少数民族の文化、そして西洋美術など外国文化が織り交ぜられている(バランスは分からないけど)

4.小中高の連続性がつよく、発達段階に応じて重点が異なる(中国は一貫して「美術」)

5.生活や身体性に根差しており、総合学習の要素が含まれている
(韓国「楽しい生活」(小学校低学年)、台湾「芸術と人文」(3-9学年))

6.小学校から教科担任制がとられている

1.の一冊の教科書に美術制作から書道の綴り方から音楽の譜面までが入っているのには驚きました。これは萱先生も指摘された、東洋では本来そうであった統一的な「芸術」観に近いものであるとも考えられるようです。いずれの国にも歴史的な背景や教育方針の違いがあるでしょうが、この4国の中では日本だけが依然として芸術科目の細分化と非連続なカリキュラムを継続しているようです。


 で、今後の研究および美術科に対する見通し。授業時間の削減と脱ゆとり教育という、相容れない方向性が示されているような現状の教育改革の中では、おそらく芸術科・美術科・図工科はどんどん埋没していくだろう。最終的には高校のように芸術科として統合されるだろう、ということでした。ただ、それをネガティブにとらえるばかりでなく、中国・韓国のように音楽・工芸・書道などの要素とも共存した総合科目になるチャンスといえるかもしれないですね。 会場で大橋先生が仰っていた「国語は時間を増やしたいという。なら国語科書写1時間分を芸術科に移して、その分を芸術科に1時間分くれたらええやん。」というのもうなずけるものでした。

 たしかに美術科単独での存続は危ういかもしれません。およそ150年ぶりに、音楽や書道と一括りにされるかもしれません。ならばもしそうなった時のために、美術科は美術科として確固たるアイデンティティをもっておく必要があると思います。音楽さんや書道さんとも対等にわたりあっていけるように、表現も鑑賞も、きたえておくべきでしょうね。

ということでした。
文責:北村

日本美術教育学会→http://www.aesj.org/

投稿者 admin : October 31, 2005 05:05 PM