こっちに来てよく言われることの一つが「koubegyu」です。
松阪牛でも但馬牛でもなくkoubegyu。日本と言えばkoubegyu。
賞賛と偏見がない交ぜになった言葉で
「毎日マッサージして育てる」「飲み水の代わりにビールをやる」「100g1万円」etc.
…偏見の方が幾分以上に多い様です。悲しいかな。
sushiだって「料理の仕方を知らない野蛮人」というニュアンスを含みかねませんし
イタリア人の持つ一種絶対的な『料理の正当性(cibus noster)』みたいなものが
スローフード運動にも深く根ざしているのだなあとひしひしと感じる今日この頃。
何かと言えば、「ウンチクのための料理」であり、「権威ある正しいやりかた」なのです。
正しさ。イタリア語ではgiusto。先にペトリーニ氏の出した本は『Buono Purito e Giusto』でしたが
この正しさとはいったい何か、という問いを立てたとき、我々の脳裏に浮かぶニュアンスと
彼らの思い当たるニュアンスのあいだには、少なからずの隔たりがあるように思えます。
それが良いものなのか、悪いものなのか、まだちょっと分かりませんが。
投稿者 : June 5, 2006 01:20 AM