September 30, 2005

秋学期スタート!

いよいよ今日から秋学期のスタートです。
澤井くんもイタリアから無事お土産とともに帰国されました。(午後3時半からKBでサワバの集いありました。出席者6名)、5日夜の集いにワインが持参されるようですよ。

投稿者 Nishimura : 07:44 PM | コメント (0)

July 10, 2005

USBメモリは前で使おう

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みなさんよくお使いだと思います、USBフラッシュメモリ。
でも口がPCのうしろにしかないから面倒・・・なんてお悩みではないですか?


じつは前にあるんです。本体右下に2口。キーボードを少しずらすだけで差しこめます。
ちなみに縦置きでも足もとにあります。
これでお向かいさんの電源ケーブル切ってしまうなんて不安からも解消されますね♪

投稿者 Kitamura : 10:00 PM | コメント (2)

May 02, 2005

工事進行中

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今日博遠館に行ったら、博遠館北側で門の新設工事をやっていました。相国寺方面に直接出入りできると、寒梅館や地下鉄の北改札方面に行くのが便利になりますね。
大学院図書室も入口の工事をしていました。ドアが1枚分、小さくなっていました。

工事のおかげで研究室にはうるさくて居てられず、必要な本だけ取って帰ってきましたが…。

投稿者 Nishimura : 03:16 PM | コメント (3)

April 27, 2005

追悼

 一昨日のJR福知山線の事故で二人の同志社大学生の命が奪われ、30名に及ぶ方が重軽傷を負われました。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りすると共に、ご家族・ご親戚に衷心よりお悔やみを申し上げます。
 あの路線は私も乗ったことがあり、また関西学院大学に在籍する娘が尼崎方面に出るのに常用していただけに、またお亡くなりになった二人の女子学生が娘と同年齢とういうこともあって、他人事とは思えません。
 ちょっとしたタイミングのずれで、希望に満ちた前途が一瞬にして絶たれた無念さはいかばかりか。もしも前後の電車にしていれば、今日も京田辺のキャンパス・ライフを楽しんでおられただろうにと思うと、胸が詰まる思いです。
 昨日、18:05よりチャペルで追悼式があったそうで、できれば出席したかったですね。合掌。

投稿者 Imasato : 08:01 PM | コメント (2)

April 26, 2005

JR福知山線事故について

学長の会見があり、ホームページで声明も発表されています。

http://www.doshisha.ac.jp/top/20050425_2seimei.html

2名の学生が亡くなられたことが判明しています。
ご冥福をお祈り申し上げます。

投稿者 Nishimura : 01:26 PM | コメント (1)

April 21, 2005

チャペル前の八重桜

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こんどは八重桜が満開となっています。

投稿者 Nishimura : 03:21 PM | コメント (1)

April 16, 2005

☆4月のお誕生日さん☆

今日4月16日は4月のお誕生日2人の中日です!
すなわち
15日→コタちゃん
17日→大橋さん
何はともあれおめでとうございます! というわけでお二人からは今年の抱負をお待ちしていますね。

投稿者 Kitamura : 12:38 PM | コメント (2)

April 08, 2005

桜咲く

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チャペル前の桜がほぼ満開となりました。

投稿者 Nishimura : 11:54 PM | コメント (2)

April 06, 2005

マルチメディアラウンジ

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4月から今出川キャンパス寧静館1Fに「マルチメディアラウンジ(MML)」がオープンしましたので覗きにいってみました。
Windowsマシンに加え、最新のPowerMac G5も4台設置されており、ビデオのデジタル編集、スキャナでの画像取り込みなど、いろいろなことができます。空いていれば予約なしで3時間作業が出来、その後に予約が入っていなければ延長もできるということでした。(いまのところ、まだ知られていないのでしょうね。ガラガラです。)
私の場合、デジカメ導入以前のフィルム(ネガ・ポジ)写真資料が多数ありますので、ここを使ってデジタル化しておきたいと思っています。

投稿者 Nishimura : 03:47 PM | コメント (1)

April 05, 2005

学位授与式写真2

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新川ゼミの渡辺裕さんが先月の学位授与式の日の写真を送ってくださいましたので掲載します。
今里先生のこの日の姿、どこかで見たことがあるとおもったら、「笑うせえるすまん」ですよね。

投稿者 Nishimura : 11:42 AM | コメント (1)

March 26, 2005

Back to School

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今日は成績表・新年度登録書類配布日。閑散としていたキャンパスに学生たちが戻ってきました。

投稿者 Nishimura : 11:37 AM | コメント (0)

March 21, 2005

2004年度学位授与式

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本日は2004年度学位授与式でした。皆さんおめでとうございます!
(今里ゼミ生は今年度M1だけですので、該当者はおりません。)

投稿者 Nishimura : 08:52 PM | コメント (0)

February 13, 2005

修士論文公聴会&博士論文研究会

今年度の修士論文の公聴会も終了しました。
タイムキーパーとして公聴会に参加しましたが、大変勉強になりました。やはり早くから修士論文の執筆に取り掛かっていた方々は、良い論文が書けたようです。来年度は、私達の番ですが、しっかりと計画を立て、着実に進めていきたいものです。
今里先生本当にお疲れ様でした。

また、博士課程の研究発表会が、3月5日(土)の午前9時から行なわれるようですので、興味のある方は、ご参加ください(またまたタイムキーパーのお仕事です)。

投稿者 Kotagiri : 05:22 PM | コメント (1)

February 12, 2005

尹東柱 追悼式 

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12日(土)に本学構内で行われた尹東柱追悼式には300人を超える方々が出席されたそうです。私は残念ながら修論公聴会のために参加できませんでした。この模様を伝える西日本新聞の社説(2月13日付)を転載しておきます。参考になれば、幸いです。 今里 滋 敬白


詩人・尹東柱没後60年 彼はいつも水平線のかなたに

 詩人の尹東(ユンドン)柱(ジュ)をご存じですか。韓国の人にこう尋ねたら、だれもが「もちろん」とうなずき、こう語るだろう。「教科書で習うし、入試にもよく出ます。親しい人への贈り物としても、彼の詩集は人気なんですよ」
 頼めば、代表作「序詩」の一節を口ずさんでくれるかもしれない。「チュンヌン ナルカジ ハヌルル ウロロ(死ぬ日まで空を仰ぎ)/ハンジョム

 プクロミ オプキルル、(一点の恥もないことを、)」と。

 どの国、どの地域、どの民族、どの時代にも、時折、時代を背負って生まれ、時代を超える翼を持った詩人と詩が生まれる。尹東柱と「序詩」も、そのような詩人であり、詩だ。

 「序詩」にひかれて尹東柱を知り、彼の生涯や詩についてとつとつと語り合いながら新しい日韓関係のあり方を見つめている人々が、大勢ではないが国内の各地にいる。

 今年は戦後六十年で、日韓国交正常化四十周年、日韓友情年でもある。このような節目に没後六十年を迎えた彼の生と死を振り返れば、日韓の友情を深めるよすがになるかもしれない。

 彼は一九四五年二月十六日未明、現在の福岡市早良区、地下鉄藤崎駅近くにあった当時の福岡刑務所で獄死した。その日は晴れ、最低気温〇・一度。二十七年の短い生涯だった。


■3都市での短い生
 旧満州(現・中国東北部)で生まれ、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学校)を卒業後、四二年に留学のため渡日し、東京の立教大で数カ月をすごしたのち京都の同志社大に移った。

 四三年夏、治安維持法違反(独立運動)容疑で逮捕、京都地裁で懲役二年の判決を言い渡され、四四年春、福岡刑務所に収監された。

 最後の三年間、彼の生は太平洋戦争と重なり、半ば以上は警察署の取調室、裁判所の被告席、刑務所の監房内にあった。没後三年の四八年に友人や親族が出版した遺稿刻W「空と風と星と詩」が一冊きりの詩集である。

 彼がつかの間生きた東京、京都、福岡の三都市で、没後五十年前後に彼の死の意味を考え、その詩を読む市民グループが生まれた。そして、没後六十年を追悼する市民の集いが、東京ではおととい、京都ではきのう開かれた。福岡市ではきょう開かれる。

 多くを平易な詩語でつづった彼の詩には、現代詩によく見受けるような難解さはない。ただ、深い。透明な叙情性をたたえ、ぴんと張った硬質な芯(しん)がある。詩人の茨木のり子さんは、その質感を「ピアノ線」にたとえた。

 彼の詩は、万華鏡のようにわずかに傾けただけで違った模様が見える。同じ作品でも、読むたびに違った印象を受けることがある。

 彼と作品について幾百もの著作や論文を書いてきた韓国の人々にとってさえ、未解明な部分があるのだ。

 彼は、日本による植民統治下で生まれ、亡くなった。彼の詩が深みを伴うようになったのは、過酷な時代の中で結晶したからである。

 四〇年には創氏改名が施行され、「朝鮮日報」や「東亜日報」が廃刊に追い込まれた。四一年には、朝鮮思想犯予防拘禁令、国防保安法、改定治安維持法が公布された。この年、日本は太平洋戦争に突入し、やがて、敗戦の日を迎える。


■針の穴の向こう側
 歴史の激動期に青春をすごした尹東柱は、朝鮮固有の文化が消えることに強い危機感を抱き、民族固有の文字であるハングルで詩を書き続けた。

 それ自体、支配者への抵抗性を帯びた行動ではあったのだが、書いた詩の大半は、自己の内側にらせん状に沈み込んでいく内省的なものだ。声高で明らかな抵抗詩はない。

 彼の詩行のひだには、時代に対する悲しみや苦しみ、時代と正面から切り結ぶような生き方ができない自己に対する恥ずかしさ、そして何よりも、新しい時代への希求が潜んでいる。

 詩人、画家、会社員、主婦らの小さな集まり「福岡・尹東柱の詩を読む会」では、各自が作品から受けた印象を重ね合って、隠し絵のような彼の思いを探し当てようとしてきた。

 発足して十年になる読む会の初期から参加している井上美貴子さんは、会報の第二号に「詩人に近づきたく通ってきましたが、詩人はますます遠くにいらっしゃいます」と記している。

 海のかなたの水平線は、そこに近づこうとしても先に退き、いつも遠くにある。井上さんが感じるように尹東柱の詩は、どんなに読んでも水平線のようになぞめいている。

 しかし、たとえ彼の詩魂の最深部になかなか降りていけなくとも、一点の針の穴をのぞくように尹東柱の詩の世界を見つめているうち、その向こう側に見えてくるものがある。

 それは、当時の尹東柱と同じように悲しみ、苦しみ、恥ずかしさと希求を抱いて生きた無名の、幾多の朝鮮半島の人々の姿である。

 日韓の人々が友情を深める上でいま最も大切なことは、重なり合わない部分を残している互いの歴史認識のずれを埋める作業だろう。

 尹東柱の生と死を手がかりにして日韓の過去と現在、そして望ましい将来像が焦点を結ぶかもしれない。

【写真】詩人・尹東柱(延禧専門学校卒業時)

投稿者 Imasato : 11:48 PM | コメント (0)

尹東柱の追悼式に参加しました

2月12日は、身体の芯が凍えそうな寒い日になりましたが、大勢の人が追悼式に参加
されていました。当日の参加者に、尹東柱の詩集が配布されましたので、その中から
2遍を紹介させていただきます。

序詩

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥ずることなきを、
葉あいを 縫いそよぐ風にも
わたしは 心を痛めた。
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も 星が 風に————むせび泣く。


コスモス

清楚なコスモスは
ただ一人の我が乙女
月の光 ひんやりとする 寒い夜には
昔の乙女がたまらなく懐かしく
コスモスが咲く 庭を 尋ねゆく

コスモスは
コオロギの鳴き声にも はにかみ

コスモスの前に立つ 私は
幼子のように 羞じらう

私の心は コスモスの心
コスモスの心は 私の心

きょう

投稿者 Honda : 11:20 PM | コメント (0)

January 30, 2005

期末レポート格闘中

ゼミ生はただいま「公共性論」「演習」(2月2日締切)その他履修科目の期末レポートと格闘中です。

投稿者 Nishimura : 10:10 PM | コメント (2)

January 12, 2005

共同研究室

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院生は共同研究室を使うことができます。机と書棚2段分。インターネット接続環境。空調(これ大事!)。ノートPCを研究科事務室で借りることもできます。
部屋によっては歴代の院生がもちこんでいる湯沸かしポットや冷蔵庫、電子レンジなどもあったりします。
写真は博遠館の403研究室です。モデルはkitafeeくん。

投稿者 Nishimura : 11:39 AM | コメント (3)

July 01, 2004

夏の日

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弘風館の前です。

投稿者 Nishimura : 04:00 PM | トラックバック